耳。
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そのようにして人称が溶けて、あるいは彼女と少年が人称から溶け出し、行為が少年と彼女の体を借りて踊っていた。
もう一方で主観を持たない身体感覚がそれ自身の意味と世界の膜を試していた。
誰もいない部屋に口づけがひとつ浮かんでいた。
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「彼女」が消えていた。
別れのキスをしている最中に「彼女」は消えた。
それは彼女から「彼女」への贈り物だった。
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彼女が少年に教えたかったのは、彼女がそういう人間だということだった。
けれども少年がそのことに気付くかどうかは賭けだった。
つまりは彼女はそういう人間だということだった。
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そのような血なまぐさい話ばかりではなく、胸が温まるような話もある。
たとえば彼女の居間に浮かんでいた一つの口づけは、しばらくそのままそこに残ったこと。
その口づけがほどけて、二つの唇が残ったこと。
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二つの人の形がいったん目を覚まして、それから体格のいい方が細い方を抱き締め直したこと。
細い方はマグカップに指を伸ばそうとしていたが、その動作をキャンセルしなければならなかったこと。
細い方はクッションに座り、体格のいい方は床に座っていたこと。
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どこか遠くの場所の静けさが聞こえそうだったこと。
様々な音のぎりぎりの隙間を幾度もくぐり抜け、それは今にも少年か彼女の耳に届きそうだったこと。
それは届くことによりそれ自身を掻き消すような静寂ではないことを少年が願い、一方彼女はそれは届くことによりそれ自身を掻き消した静寂ではないかと思っていたこと。
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「彼女」がいなくなったことの違和感を少年が感じていたこと。
懐かしさに対する懐かしさが「彼女」の不在に紐付けられていたこと。
彼女が懐かしさを諦めていたことなど。
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黄昏が降り、部屋は暗かった。彼女の服の色を、その温度で感じられそうだと少年は思った。
だから少年は部屋が暗くなったことに気付いていなかった。それともまだ何にも気付いていなかった。
それでも彼女が喉を渇かせていることには何故か少年は気付いた。
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はじめは口移しで飲まそうかと少年は考えた。
少年は抱擁を緩め、左手でマグカップを彼女の右の手許まで寄せた。
彼女の右手がマグカップの側面をつまんだ。少年にはそれが分かった。
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彼女は冷めたカモミールティーを口に含むと、マグカップを置いてそのまま頭を少年の左肩にもたせかけた。
それが彼女が発した沈黙以外の初めの合図だった。
それを少年が受け取ることができたかどうかは分からない。どちらにせよ少年は知っていた。
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少年が彼女の頭を支えながら体重移動をするように少し左肩を引くと、彼女の左耳が少年の口許まで来た。
少年がその耳に唇で触れるか、言葉で触れるかする寸前の瞬間があった。
そこで彼女の髪の毛の一本がぷつんと弾けた。
(了)
nobodyhurts - 20110411 - silence (almost unreal)
「耳」